子育て共有の難しさ。”夫の協力”を諦めて衝突はなくなったけれど…【同居して得たこと感じたこと⑨】by 山田あしゅら
前回の記事では
『そんなもんさ』で過ごしてきちゃった我が夫婦。
けれど子どもたちの子育て真っ盛りの当時はいろいろありました。
子どもが生まれると同時に
父親、母親となっても
その意識の隔たりは思いのほか大きく
夫の場合
時間が経ってもなかなかその隔たりがなくなりませんでした。
子どもをどこかに連れて行ったりする
イベントやサプライズを企てることは割と積極的に関わるのですが
おむつ替えをはじめ
子どもをお風呂に入れることなど
身の回りの世話はほぼノータッチ。
節目節目に起きる
様々な決め事や厄介な問題にも
あまり関心を持とうとしません。
イベントやサプライズさえやっとけば自分の子育ての役割はおしまい。
マジでそう思っていたんじゃないかしら?
イクメンという言葉もなく
夫のような父親がまだ大多数だった時代とは言うものの
子育てを母親一人で担うのが大変なことには変わりなく
決まって平行線になる『説得』は次第に激しさを増していきました。
これじゃ説得ではなく衝突ですわ。
お互いの立場を理解した上でそれらをかみ合わせることは
そんなに簡単なことじゃありません。
二人共、目先のことでいっぱいいっぱい
若かったからこその余裕のなさだったかも知れません。
とどのつまりは
一方的に夫の協力を仰ぐことは無理なのだと
早々に諦めちゃった私。
実はそれが『そんなもんさ』の正体なんですよね。
変わる気のない夫を変えるより
自分でやっちゃった方が面倒くさくないし
衝突することもありません。
だけど子どもたちがそれぞれ大きくなって巣立っていった今
もう少し時間をかけて
どう育児に参加して欲しいのか
もっと上手く伝える努力をすれば良かったとつくづく思う時があります。
結局、夫は子育ての苦労もその裏にある本当の楽しさも
知らずに過ぎてしまいました。
ええ。
『子は子』と『孫は孫』
全く違います。
振り返ってみればわが子の子育てのピークなんて ほんのわずか数年。
その限定期間の経験を逃すのはホント勿体無いし
夫婦二人になり
「あの時はあーだったこーだった」と
もう少し話題も共有出来たのにと残念に思うこの頃です。
◆今までのお話
作者:山田あしゅらさん
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