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『自分の息子という気がしない』と言われた父の“後戻りできない選択”~プンスコと岸田劉生~【バラバラになった家族⑥】 by ワンタケ

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以上「プンスコと岸田劉生」でした。

 

【長男として戻る事は無かった】

 

父が「もう絶対戻んないからねー!」みたいな感じでプンスコして家族会議が終了し、ある意味では丸く収まったようにも思います。

父としては「自分の息子という気がしない」という一言は、受け入れ難い辛い言葉でもあり、大きな人生の分かれ道だったと思いますが、あの時に無理をして同居をしていたらきっとお互いに苦しい思いをしたのではないでしょうか。

ただひとつ、前回衝突した引き籠りの叔父さんにとっては、この選択があまり良い選択では無かったという結果になってしまいました。それはまた追い追い描いていこうと思います。

 

今後一生戻らない意志を表明した父ですが、兄弟とは以前と変わらず付き合いがあり、父が行うバーベキューや鯉こくを飲む会などにも父の兄弟はよく顔を出してくれていました。

「俺にとっては兄さんだけが信用できる兄弟だ」と言ってくれていた末っ子がいたからこそ、縁が切れなかったのかもしれません。

 

末っ子である叔父さんは私にトランシーバーをくれたので、私の中では史上最強の叔父さんです。あの頃の子どもにとってのトランシーバーといったら、スマホ級の恵!

とても忍耐強く優しい叔父さんだったけれど、子どもだから話す事はあまりありませんでした。婿養子に行ってしまったので、子供ながらに何となく距離を感じていたような気もします。今思い返せば、もっと叔父さんと話をしてみたかったなと思います。

 

そんな訳で幼馴染と離れることなく同じ中学へ進学した私は、渡り廊下に掛っていた岸田劉生の「麗子像」を見て立ち尽くしました。

 

【麗子像の泥味】

 

小学生・中学生に「何これ変な絵」「なんか怖いね…」「座敷わらし?」と言われがちな麗子像ですが、私はどうしても気になって岸田劉生について調べました。

岸田劉生についてはその生い立ちや絵に対する想いなどいろいろな事が書かれていましたが、私が「これだ!」と思ったのは「岸田劉生は自分と自分の娘しか愛せなかった」という部分でした。

 

我が父は世の勝負事や色事への興味が薄く、実の母親との繋がりも薄く…我が母とも仲は良くはしていたけれど、どこか水彩画のように淡い印象がありました。その中で、子どもである私達姉妹に向ける父の眼差しの奥に、この岸田劉生の「麗子像」のような「泥味がある愛」を感じていたのです。

 

直接的に父から「大事な娘」とも「大切な子供」とも言われた事はありません。そういう言葉での愛情表現は無い家庭、時代だったのかもしれません。

しかし一度だけハッキリと我々姉妹の前で「我が子に対する想い」を言葉にしたことがありました。感動をするとともに、二度と聞けない言葉だと思うと何とも言えない気持ちになります。

 

という訳で次回「足滑らせて頭打て」に続きます。

 

以上、幼馴染とトランシーバーで宿題の答え合わせをしたけれど電波の入りが悪く、結局電波が入る所まで歩いて出てきてお互いの顔が見えていたワンタケがお送りしました。

 

~第一話はこちらから~

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