「あんな姑にはならない」と思っていても繰り返す嫁姑の軋轢。自分が姑となってみると…【義母のこころえ⑨】 by 山田あしゅら

◆今までのお話
さて
嫁側から感じたことをつらつらと書きましたが
今度は姑側から思ったことを…。
かつてはヨメであってもいずれシュウトメになる人は少なくないでしょう。
長年不愉快に思ってたシュウトメの所業に
「私はあんなシュウトメにはならないぞっ!」と思ってたはずなのに…
太古の昔から嫁姑の軋轢が脈々と継承されるのはナゼなのか?
そこんところを考察してみようと思います。
このシリーズの最初の方で書いたように
私が結婚した時、義母は既に60歳になっていました。
今まさに自分がその60を迎えてみると
若いころには思いもよらなかった自身のポンコツぶりに
戸惑い、うろたえるばかり。
振り返ってみれば
「義母もこんなカラダを抱えていたんだなぁ…。」と
しみじみ思う今日この頃であります。
それでもその後10年間
70歳まで看護師として働いていた義母は今更ながらすごい人だったと思います。
しかし
年を取ると外見や体調が変化するだけじゃなく
内面も若いころと同じにはいきません。
まず
人の意見を素直に聞かなくなってきました。
これは『耳が聴こえづらい』という加齢の影響もあるかも知れませんが
これまで培ってきた経験とかプライドなども邪魔するものだから
聞こえないことを認められない上に
聞こえないと思われるのもイヤ。
聞こえたフリをすることも多々みられ、結果行き違いも生じます。
※次ページに続きます。
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